こんにちは、まなぶてらすです。
さて今回は、「語彙力と読書量が重要」な理由を書いていく記事です。
前々から書こうと思っていたテーマです。
語彙力と読書量は重要だということ自体はよく言われると思うのですが、なぜ重要なのかということについてしっかりと解説したものはあまりないのでそういう意味で価値のある記事です。
国語の指導をしていて常日頃思う頃は、国語は「8割インプットの科目」であるということです。
インプットと聞くと暗記的な作業と思われるかもしれませんが、もう少し深い意味での”インプット”作業です。
「国語の読解力は、事前にどれくらい土台ができているかが非常に重要。土台というのは、感受性や思考力の肥やしが養われているか、どうかということであり、この土台は語彙力と読書量によって形づくられる部分が大きい。」
とこう言いなおせると思います。
国語の読解指導を、スッと理解できる子となかなか難しい子、両者の特徴を考えてみると事前にどれくらい語彙量があり、読書量を積み重ねていたかということに行きつくことが非常に多いです。
図を用いて説明をします。

↑の図は、海面に浮かぶ氷山を模したものです。
語彙力や読書量が少ないケースが左。充分に確保できているケースが右。
入試の問題にしても、日常の学習にしても、与えられる問題や条件に違いはありません。
しかしなぜか、結果に差が出てきてしまう。
これは、与えられた情報をどう受け止め、どう考え、どう表現するかという過程に注目する必要があります。
語彙力が多いということは、「思考に使うことができる言葉の数がそれほど多い」ということです。
例えば、解答にて
”物悲しい”
という表現を使う必要があったとします。一見、”物悲しい”という言葉さえ知っていれば、または、本文から見つけ出せればよいと見えますが、実態は異なります。
問題の条件を読めば”悲しい”的な状況を考える必要があるというのはどの受験生でも理解できますが、その先に違いがあります。
語彙力や読書量が豊富な受験生は、同じ”悲しい”という場面でも”様々な悲しい”を参照することができます。
”悲哀””憂い””悲嘆””愁傷””傷心”
など同じ悲しいでも様々な悲しいが存在します。
つまり、そういった微細な思考が語彙力があることによって可能になるのです。
また、読書量が多ければ、
「あ、こんな”悲しい”は以前、あの本で読んだ登場人物のあの場面に似てるな!」
と自らのアーカイブに照らし合わせて考えることができます。
そうして最終的に”物悲しい”という言葉をチョイスするのが最適だと悟るのです。
このように語彙力が豊富だとそれだけ思考の幅が広がり、様々な解答の可能性を吟味でき、そして最適な言葉を表現の手段として選ぶことができます。
言い方を変えれば「語彙力と読書量」は”アンテナ”です。
同じ文章を読んでどれくらいの情報をキャッチできるかということです。
語彙力と読書量が豊富であれば、でっかいアンテナであらゆる情報をキャッチできますが、そうではない場合、アンテナが小さくなって情報を取り逃します。
イメージとしてはこんな感じ↓

私は、レッスンの初回の際に、「まずは語彙力と読書量です。問題を解くのはそのあとで良いです」と継続的なレッスン自体をお勧めしないことがあります。
それは、単純に”その方が本人のためになるし、合格への最速の道だから”です。
もう一度申し上げますが、国語は「8割がインプット」です。
インプット(語彙力&読書量)があればずっと簡単に読解は教えることができますし、本人も容易に習得することができます。
国語の読解問題において「何を言っているか全くわからない」という状況が一番教える側として辛いです。
つまり、それは、「教えてどうなる問題ではないから」です。
解説すればある程度了解するか、ある程度は筆者のイイタイコトはつかめたという状態にはなりますが、そもそも全くピンと来ていないという状態は他人がどうこうできる問題の範疇を越えています。
もちろん、語彙やその内容自体に様々な解説をつけることはできますが、問題の本質はもっと深いところにあるということです。
言い換えると、”全くピンと来ない”という文章問題をまず無くすことが先決で、そのためには、語彙力と読書量をガンガン増やしていく必要があって、それは、先生が一個一個教えるよりも自学自習していくことが効率的で、というか、自学自習しか方法がないよね。
とこういうことです。
講師の役目は、
”読めるけど解けない”という状態を、”読めるし解ける”にすることです(理想的には)。
問題によっては、
”何とか読めたけどよくわからない&解けない”を”解説を聞いたらわかったし、解けた”
ということもあると思います。
要するに、”全くピンと来ない”という文章読解のレベルであれば、語彙力と読書量をどんどん増やしていって、問題の解き方など受験的テクニックはもっとあとにしたほうがいい。
ということです。
次回のブログでは、どれくらいの語彙力と読書量を確保すればよいのかということについて書きたいと思います。