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”うちの子勉強しないんです”というお悩みについて

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こんにちは、まなぶてらすの国語講師の平井です。

 

今回は、割とシリアスなテーマですね

”うちの子勉強しないんです”というお悩みについて僕なりの考えを述べさせていただきます(辞宜)

 

本記事が真面目な話題なので雑談を挟んで中和させます。

 

<雑談>

先日の坂本先生の記事にてX JAPANについてわずかに触れられていたので、便乗してビジュアル系について書いてみます。今ビジュアル系って下火ってかもう化石のジャンルだと思うのですが、日本発の音楽ジャンルという意味では色々と継承すべき文化価値があると思うんですよね~。この記事は今の小中高校生に見られる可能性もあるので、おすすめのビジュアル系のアルバムを紹介します。(次世代に受け渡したい)

以下順不同

・「狂った太陽(BUCK-TICK)<デジタルリマスター版>

いやぁ~まず、ジャケットがかっこよすぎませんか?ジャケット見ただけで絶対名盤って思うやつありますよね。荒井由実の「ひこうき雲」とか、スピッツの「ハチミツ」とかもまさにそれです。”狂った太陽”って名前も和製ロックって感じで最高です。バクチクはアルバムの数が非常に多いですが、これが一番有名で、おすすめです。

・「MOTHER(LUNA SEA)

ファーストと迷いますが、最初に聴くならこれですね。「ルナシーといえば」的な曲が全編にちりばめられ、黄金期を感じられるアルバムです。ヒットシングルも含みつつ、アバンギャルドな曲もあり、聴きごたえがあります(こういうバランスのアルバムは1バンド1枚の法則)。唯一の欠点をあげるならばジャケがダサいくらいかなぁ(笑)。

・「BLUE BLOOD(X JAPAN)<リマスター版>

まあ、これは外せないでしょう。いろんな意味で規格外の超名盤です。X JAPANという名前自体は教え子の小学生でも知っていたので、認知度は高いかと思います。「紅とかメロディーは知っているよぉ」とそんな方にも、このアルバムを通して聴いていただけるとその作品としての圧倒的クオリティを実感できると思います。こちらもリマスター版が良いのでリマスター版を。

以上三枚でした。ぜひ聴いてみてください。メロディー、リフともに素晴らしいですし、歌詞も詩的で美しいです。

<雑談終了>

 

さあ、毎度毎度、「本題と関係ないじゃん!」と思わせつつもどの記事でも、実は根っこでは関係した雑談をしている小生です。

(最後まで読んでいいただいて”あ~つながってるかも~”と伏線的に回収してやって下さい)

それで、今回のテーマ「うちの子勉強しないんです」というお悩みについてなのですが、こういう風に言い換えることができると思うんですよ。

 

それは、「わが子に最も身近な大人がなすべき教育」とは何かということです。

 

いきなり結論的に論理が飛躍したので、順をおって書いていきます。


まず、この記事を書こうと思ったきっかけは授業中いつも感じている”ある感覚”が元になっています。

 

その感覚というのは、↓です。

 

「生徒の魅力を最もつかむことができるのは雑談の時間だ」ということです。

 

これは前々から感じていることであります。

そもそも、授業というのは基本的に「画一的で規則的なコミュニケーション」しか行われない場です。

エラーや差異性というのは認められないのです。個別特殊性より、一般的で普遍的な価値を目指すのが小中高の授業です。

 

そんな中でふと雑談をしてみるんです。すると「授業では見ることができない魅力的な表情」を生徒から感じ取ることができます。

「部活○○です」「漫画これ好きです」「音楽は○○聴きます」「最近あの映画みました」

といった平たく言えば「その生徒の個性」的な本質が垣間見える会話をするわけです。

で傍から見てるとその「自分の個性」を表に出している瞬間がどの生徒も私は魅力的に見えるのです。

雑談というのは、非線形的に広がっていきますし、エラーを許容するコミュニケーションです。対して、授業は規格的で、エラーを許さないコミュニケーションです。

「これやった?」「覚えてるよね?」「来週までにやっておいてね」

こういったコミュニケーションは”エラー”を認めません。

一方、雑談は、

”言い間違い”や”記憶違い””認識不足”といった授業では否定されるエラーが魅力になるコミュニケーションです。

例えば、名前を一文字だけ間違えて発音し、笑いが起こったという瞬間をほとんどの人は体験したことがあると思います。


またこんな私にはこんな体験もあります。

以前教えていた子で中学生のTくんという生徒がいました(まなぶてらすではないです)。

T君は世間一般でいうボンクラ不真面目系男子なので、基本的に授業では、怒られていました。

宿題は、やってこないですし、授業=睡眠です。

毛沢東を「けざわひがし」と読み上げるなど勉強に関しては、オスプレイ並みに低空飛行です(墜落も多々)。

そんなT君の受験対策で模擬面接を行ったときのことです。

面接の際に、「趣味は何ですか?」というような下りでT君の印象は全く変わりました

車が好きなようで、図鑑を読んだり、レース観戦にも行くということでした。

普段授業では虚ろで消極的な態度ですが、車のことについて話す彼は非常にスマートで積極的な男でした。

要するに、「損得抜きで好きになもの」を語っている瞬間が一番良いんじゃないかとそう感じたわけです。

思うに、趣味によって仲良くなるという現象の本質はここにあるのではと思います。お互いにお互いが一番輝いている状態でコミュニケーションするからこそ、高次な友情が成立するのです。

ぼく自身、数年周期のライブツアーでしか会わない遠距離の友人がいますが、会う頻度の少なさを感じられないくらいに毎回会話が盛り上がります。なんかこう、重きをおく価値観みたいなものが音楽とかでがっちりと下地がついているあの感じ?です。思うにいいバンドとかグループってこういう人間関係をいかにファン内にもたらしたかだと思うんですよね~。

 

話がそれたので、戻します。要するに、人間は「自分を存分に発揮できる瞬間」に一番輝くとそういうことです。

 

で、いよいよ結論ですが、親はわが子にどう接するかということは、このことをベースに考えるとよいんじゃないかと思うんですね。

 

以下の図をまずはご覧ください。

学校教育とは言うならば「成型」です。

型に当てはめるんですね。100点という完璧な状態の型にいかに順応させるかということがミッションです。

だから、無個性状態を好むんです。

制服を着させたり、頭髪を制限したり、持ち物チェックを行うというのは、「従順な生徒」を作ることが目的です。

洗脳の基本は、「無意味に厳しくすること」です。そういう意味で、「成型」が学校教育なわけです。

 

そんな状況に置かれても人間は当然、十人十色で違いがあります。

 

図で見た場合のはみ出ているピンク緑黄の部分です。

 

こここそを身近な大人(=親)が許容し、育てるべき部分なのじゃないかと私は思うのです。

 

振り返ってみるに、勉強に積極的な子は、趣味や遊びにも積極的です。

では、なぜ積極的かと考えたときに「親」の存在が大きいのではないかと思います。

例えば漫画を読んでいる子供に

A「くだらない本読んでないで、勉強なさい」

B「○○はそういう漫画が好きなんだね~勉強も頑張るんだよ」

 

どっちの接し方が良いでしょうかということです。

Aの接し方は学校と変わらないんですね。つまり子供は学校と同様に「自分の個性」を認めてくれていないと感じてしまう可能性が高くなります。Bはどうでしょう。自分の個性を認めてくれたとそう感じるはずです。


基本的に人間は「返礼」の本能があります。

つまり、相手にされた恩は、返さなくてはと思うということです。

Bの接し方ですと、「親は自分の自由な時間を認めてくれている。だから勉強もちゃんとやらなきゃな」と無意識に行動が変わっていきます。(返礼をしようとする)

これは、もっと他のことでも考えることができます。

勉強をやりたくないといっている子に対して

A「早くやっちゃいなさい(自分はテレビを見る)」

B「じゃあ私も一緒に仕事の書類つくるから、○○も一緒に勉強しよう(同じ机で作業をする)」

という場合もどうでしょうか。子供は「お母さん(お父さん)も仕事をするのだから僕も勉強を」と返礼の本能が働くのです。

 

まあ、返礼の本能とか下世話な心理学的思考を抜きにしても、純粋にBパターンの方がコミュニケーションとして優しさに富んでいますよね。


話を戻します。

 

要するに、「わが子の差異性や個性、エラー」を許容するコミュニケーションが親に求められているのではとそう思うのです。

 

例えば、わが子が「ゲーム」が趣味といったら頭ごなしに否定するのでなく、ゲームのどんなところに惹かれていて、なぜ好きなのか、どういうゲームをしているのかなどまずは、興味をもってあげることが重要な気がします。

僕の体験だと「乃木坂好きなんだよねぇ~」と女性にいったときに

「は?きも」という反応と「へぇー!私も○○なら知ってるよ」と反応があります。

後者の反応の方が自分を受け入れてくれていると感じますよね。

子供の趣味も同じだと思うんですよねー

いってみれば、趣味や好きなことというのは、

誰に言われずともやっている主体的な活動」であり、「生きるのに必須ではないのにわざわざ取り組んでいる活動」なのです。

 

よって、その人が”快適に”生きる上での「尊厳」といえるでしょう。

 

子供が趣味を持った時に、まずは認めてあげることが「その子供の個性を尊重する」第一歩なのではと思うわけです。

 

まなぶてらすが公式サポーターとなっている(と一年前位に聞いた気がする)筑波大の落合陽一さんが「AI時代の人間性」についてこうおっしゃっています。

「(AIがあらゆる作業や営み、仕事を人に代わって代替するようになったら)人間の差は趣味くらいしかなくなる

まさに、これですよね。学校教育で行われるようなことっていうのは、「代替可能」なコンテンツなんですよ。そうなると自然とそこに自分の魂を込められるという意識は薄れていきます。だから、「代替不可」な趣味や偏愛を人間はもつわけです。

 

代替不可こそが差異性であり、個性であるとそういうことです。

 

自分の個性(趣味 嗜好)をご両親が許容することで、自然と学習にも身が入るもんだと思います。

(もちろん限度はありますが)

現にぼく自身、この仕事(まなぶてらすで国語を教える)というのは、仕事という意識は希薄です。

本とか映画、ゲーム、音楽が昔から好きだったので、その思考がそのまま国語に応用できているとただそれだけです。(表現から意味を読み取るという思考)

お子さんの「これが好き!」「これやってるとき楽しい」といった魅力をキャッチしていくのが親御さんの役目なのではないかなと思います。

学校や塾に「成型」の教育はまかせればいいのです。いってしまえば教師や講師は他人なので、いい意味で俯瞰した教育ができます。

しかしご両親は、「その子にしかない魅力を発見・発掘する」という他人に任せることができない特権をお持ちだと思います。

以上長くなりましたが、Danke(ありがとうという意)。

「伏線つながった~~~~」という方は乾杯。

ひらい/1993生/福島県出身
オンライン国語講師としてまなぶてらすで活動しています。Hip-Hopとラーメンが好きです。


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