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<雑談>受験生におすすめのドラマ「女王の教室」

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こんにちは、まなぶてらす国語講師の平井です。

 

~歴代シス、フォースで永遠に生きられる説~

前々から思っていたのですが、シスは死んだあとフォースを使って霊体となって登場したほうが色々便利じゃねっていう話です。

ジェダイは死んだ後も霊体となってひょこひょこ現れるのですが、不思議とシスは現れないです。

そもそもシスはフォースを私的利用することをいとわない人たちです。だからこそフォースライトニングやフォース首絞めをためらいなく行います。そんな人たちなら自分の肉体が滅びても現実世界に現れてみようと思っても不思議じゃない気が。

シスが霊体となればヨーダとかオビワンみたいにジェダイの精神が不安定の時に、ジェダイの前に登場して暗黒面に誘うことも効率的にできそうです。暗黒面誘致への最適化です。

 

以上俺がシスだったらそうするかなという夢想でした。


今回は雑談記事です。

受験生におすすめのドラマということで「女王の教室」という作品を紹介したいと思います。TSUTAYAとかにも普通にありますし、Amazonでデジタルレンタルもできます。

 

これはですねぇ~受験生のみならず、先生や、保護者、受験や教育にかかわる全方位の人におすすめしたいテレビドラマシリーズです。

 

まず簡単なプロファイルから、(以下Wikipediaより引用)

 

<引用開始>

 

『女王の教室』(じょおうのきょうしつ)は、2005年7月2日より9月17日まで毎週土曜日21:00 – 21:54に、日本テレビ系列の「土曜ドラマ」枠で放送されていた日本のテレビドラマである。

 

強権的な態度でクラスを支配する女教師・阿久津真矢(天海祐希)と半崎小学校6年3組の児童との1年間にわたる「闘い」を描いた学園ドラマ。神田和美(志田未来)を中心とした24名の教え子の思想・心理・成長を軸として物語が描かれている。

 

台湾や韓国などアジア各国でも放送されている。2006年7-10月に放送した香港では、最終話視聴率28.0%、平均視聴率25.3%を記録し、日本ドラマとしては史上最高視聴率を記録した。

『金八先生』『ごくせん』『GTO』『キッズ・ウォー』等、熱血や道徳を定番かつ主要なテーマとしていた従来の学校教師ドラマとは対極をなすアンチテーゼ的な内容が大きな反響を呼び、開始早々から公式BBSや『あなたと日テレ』等をはじめ賛否両論の議論が巻き起り、PTA等の団体から名指しで非難されるなどした。

 

主演の天海の代表作となったのはもちろん、当時12歳だった志田未来や11歳だった福田麻由子の出世作としても知られている。

 

受賞
平成18年日本民間放送連盟賞 NAB Awards 2006(優秀)
第43回ギャラクシー賞 奨励賞
第32回放送文化基金賞 優秀賞(第1回及び最終回放送分)
第24回向田邦子賞(遊川和彦)

 

<引用終了>

 

と基本的な情報はこんな感じです。

ちょうど私が小学校6年生の時に放送されたドラマで、非常に当時見入ったのを覚えています。

クラスのみんな楽しみに観てましたし、文化祭の出し物も女王の教室で作った気がします(教室そのまま使うだけ)。

テレビドラマでありながら、エッジーな内容でありながら、エンタメ性があり、現在も根強いファンがいるというような作品でしょうか。

このドラマの何がそんなに良いか?ということをまず箇条書きにしていきます。


 

①秀逸な物語構造

 

まず、

「最初は正しいと思っていたものが実は正解ではなかった」

という物語構造を教育ドラマに持たせていることが他にはない魅力です。

他の有名な教育漫画やドラマ、映画などは、まず、「コンセプト」ありきです。

つまり、絶対的に正しい先生というものが登場し、未熟な生徒たちを教育していくという話です。

金八先生や桜木先生、川藤先生、ヤンクミ先生などを想像していただけるとわかりやすいです。

生徒はその基準にいかに追従するか?ということが物語の推進力になります。

キャラ自体の魅力とや要所要所の啓蒙シーンで受け手が面白いと感じられれば話の鮮度は保たれますが、それに飽きてしまうとどうしても退屈になってきます。

言い換えると、最初の結論と最後の結論に変化がないのです。

もっというならば、第一話(第一巻・序盤)だけで観終わったとしてもOKという物語構造になってしまっているのです。

コンセプトが先に立つ話というのは、受け手がすでに成熟している場合、鑑賞する必然がない話になってしまうわけです。

 

だから教育系の話は、”不良”が主人公になるわけです。未熟な主人公じゃないと話自体が続けられないからです。

 

ではこのドラマの革新的な点はなにか?

 

普通の子供が主人公

 

なんです。

 

つまり、従来の”不良VSすごい先生”という物語構造じゃないんです。

 

普通の生徒VSやばい先生

 

だからこそ、視聴者は共感できるし、観る必要性を自分の中に見出すわけです。自分が普通の人間だからこそ、物語を客観視するのではなく、没入することができるのです。

そして、この物語の第一話は、やばい先生=「阿久津先生(天海祐希)」が6年3組の生徒たちを洗脳するところからスタートします。

東京の6年生が主人公なので「クラスの半分は中学受験生」です。なので、非常に現代の小学生や学生に共感しやすい人物設定となっています。

この世界は格差社会だ

特権階級と奴隷階級という身分制度をこのクラスにも導入する

そのためにテストの順位ですべてを決める

だから勉強をやって他人を蹴落とせ

というこういう論理です。

 

中学受験を志す子供たちも、勉強をなんとなくやっている子供たちもこの洗脳にかけられてしまいます。

 

しかーーし!!

 

この洗脳状態をドラマで観ている私たちは気づくわけです。

 

「これはまさに現代社会そのものだ!」と。

 

阿久津の洗脳は”誇張”されているだけであって、行われていること自体は、まったく現実の教育や社会と全く変わりがないわけです。

 

現実の教育現場はそれをソフトにやっているだけだ…と現代に生きる我々に強烈に身に覚えがある感覚だからこそ、視聴者はこのドラマの中に没入していくわけです。

 

そして、ドラマの中で我こそは勝者になろうと、あらゆる競争が生まれるわけです。

 

いじめ スパイ ごますり 裏切り 

 

こういった過激な描写が盛り込まれているので、このドラマは放送中に抗議のクレームなどが絶えませんでした。

学園スクールカーストものとして単純に「えぐいなぁ~これ」と楽しむこともできますが、このドラマの本質はそこではありません

 

「当初は正解だと思っていたものは実は正解じゃなかった」と物語を経るごとに登場人物たちが”目覚め”はじめるからこのドラマすごいのです。

つまり、ドラマ視聴者と登場人物たちの成長は一致しているのです。

どうしても”不良VS凄い先生”という物語ではその不良がいかに成長するかという「保護者視点」で物語を楽しむしかありません。

 

対し「女王の教室」は、「視聴者&子どもたちVS先生」という物語の形をとっているのです。

 

そしてドラマを観終わったら「今までとは世界が違ってみえる…」

 

この物語そのものが”教育”なのですね。


②主体性とは何か?

 

このドラマには過激な描写が多くあります。

それを持って「子どもにみせてはいけない!」という主張も理解できなくはないです。

ただこの過激な描写というのは、単に露悪的に演出しているわけではないです。

 

というのは、「このドラマが持つ過激さ」=「登場人物や視聴者に対する揺さぶり」なのです。

 

過激であることに必然があるのです。

 

このハードな状況、お前ならどうする?

 

という主体的な選択を視聴者に迫るからこそ過激な描写は不可分なわけです。

 

僕の好きな映画監督にメルギブソンという人がいます。この人の映画は、ちょっとどうかと思うくらいに暴力的です。でも彼の映画は多くの人に愛されています。なぜか?暴力的な描写が単なるエログロ嗜好ではなく、物語的必然を持つからです。目を覆いたくなるような状況が広がった時、君ならどうする?と問いかける。そして、そのピンチを主体的に打破するからこそメルギブの映画は魅力的なのです。

それと同じです。

阿久津が作り上げる弱肉強食の競争世界を切り抜けるには、「自ら選択する」という主体性が求められます。だから、お前ならどうする?的なハードな見せ場はストーリー上の必然なのです。

 

そして、この主体性こそ、が主人公神田(志田未来)が主人公たるゆえんなのです。

 

神田という子は、勉強はダメ、不器用、おっちょこちょいと、学校の成績という尺度で考えれば平均以下の生徒です。

 

しかし、彼女には、他のどの子にもない判断基準があります。

 

それが”主体性”なんですね。

 

このドラマ、様々な登場人物が口にします。

 

「親が~」「阿久津が~」「学校が~」「宿題が~」「友達が~」

 

しかし、神田は最初から「わたしは~~だと思う」と唯一、自分が主語のしゃべり方をするのです。

 

わたしはみんなと仲良くしたい。

 

わたしは勉強以外にも大切なことがあるとおもう。

 

わたしは阿久津先生は正しくないことをしていると思う。

 

全部自分が主語なのです。

 

この話は、洗脳状態の登場人物たち全員が、主人公、つまり主体的に目の前の状況を切り開いていくという結末になっていくのです。

 

人生を変えるのはお前だ!とそういうメッセ―ジなわけです。


③損得を超えた価値の追求

 

阿久津が提示する考え方は、究極の損得勘定です。

点数や数値化された能力は、網(テスト)や紙(数値化、言語化)で形にできます。

 

神田や子供たちが、人生や人間の価値は、数値化されない面もあるのではないか?と反論したり、疑問をもったりしてもあらゆる論理でねじ伏せ、洗脳していきます。

 

結果的に子供たちは損得勘定でしか動かなくなっていくわけです。

 

しかし、損得だけで考える奴は人生の本質は見いだせない

 

とこのドラマは提示していくのです。

 

上記のような気付きをクラスメートに与えるのが主人公神田なわけです。

 

言ってみればテストや競争というのは、社会を維持する為に設けられた”機能”です。

 

機能に自分の本質をあてはめるとどうなるかというと、マリオネット状態になります。

 

点数でしか自分を表せない、点数にしか本質がない空虚さ

 

をしっかりと見据えるからこそ、教育ドラマとして価値があるのですね。

 

「損得でしか動かない世界は結果的にどうなるか?ということを画的にしっかりとみせている

 

↑がやっぱり表現として素晴らしいです。

 

物語の都合として登場人物たちが改心するのではなく、心情の必然として改心するということが客観的に表現されているのです。


④フィクションでしか成立しえない教師像

 

これはそのままですが(笑)、この阿久津の教育方針は実践できませんし、するべきではないですw

 

フィクションは、虚構の世界です。

 

わざわざ現実世界にないものを作り上げます。

 

阿久津という存在はまさに現実世界では、絶対に存在できない教師です。

 

スパルタ 非人道 鬼畜 完全無欠 パーフェクト

 

現実には存在できないものをフィクション内で生み出せているか?

そしてその虚構に意味はあるのか?

 

そういう意味でこの阿久津という教師は、虚構の中にしか存在できないが、確かに現実に影響を与えている存在だといえるでしょう。

 

例えば、「銀河鉄道の夜」はフィクションでしか成立しえない世界ですが、多くの人の心を救っているでしょう。

 

それと同様に現実では描けないものだからこそ描くというフィクションの必然を満たしている作品でもあるのです。


⑤親と子の関係

 

このドラマは「親の描き方」も非常に巧みです。

 

言い換えると親子間の実存的対立がしっかりと描かれているということです。

 

青春ものや教育ドラマ、漫画でいつも私が気になるのは、「親の描き方」なんですよね。

 

だいたい方向性としては二つあって

 

①(親を)描かない

 

②(親を)描くか記号的役割しか与えない

 

という場合がほとんどです。

 

最初から物語に登場させず、教師×生徒という学校内のみでストーリーを展開させる。

 

または、

 

「勉強やれ」「宿題しろ」という記号的な親としてしか登場させない(または、「アル中」「ネグレクト」など怠慢な親としての記号)という具合です。

 

なぜこの描き方が引っかかるかというと、10代の子供が主人公である以上、「親の存在」は非常に影響があってしかるべきなんですね。

 

だって現実の世界がそうだから、です。

 

現実世界にいる以上、「親がどう考えるか」という問題は絶対に子供に影響します。

 

にもかかわらず、フィクション内で親の問題は端からなかったかのように描かれると、ストーリーの受け手として、「そんなこといっても親が許さないだろぉ~」と感じてしまいます。

結局ストーリーに欺瞞が生じて、心底受け手が心を動かされない作りになってしまっているのです。

 

ですが、この女王の教室は、そのあたりの「親の描き方問題」にしっかりと切り込んでいます。

 

親と子の間の実存的な対立を描いているところは他の物語にはない魅力ですし、「親だって未熟なんだ」という視点も入れ込んでいます。

 

親は子供に、「優秀であれ、いい子であれ、受験をしろ」という人間的役割を押し付けようとします。しかし、子供は「一人の人間としての自我」を主張し、親を対立します。

 

↑ありふれている親子間の悩みですが、ちゃんと話し合ってます?とドラマをみることで気づかされます。

 

親と子は一時は、対立するかもしれないけどしっかりと自分の思いを言語化して相手に伝えるべきだということをこのドラマは教えてくれます。

 

めんどうな言い争いは…と安易に親子間のコミュニケーションを持たないことの方がダメなんだよと私はこのドラマから学びました。


・・・

 

とまぁ、色々述べてきましたが、頭でっかちの解釈なんぞせずとも一つのエンタメ作品としてひじょう~によくできているドラマシリーズです。

 

そして、最終話のラストワンカット。あのカットは本当に素晴らしいです。。。

 

子育てや勉強に、仕事に疲れたら息抜きにいかがでしょうか。

 

次回は、この女王の教室の脚本家である遊川和彦氏のもう一つの大ヒットドラマ「家政婦のミタ」を夏目漱石とあわせて分析した記事を書いてみようかと思います。

 

お疲れさまでしたm(__)m。

 

ひらい/1993生/福島県出身
オンライン国語講師としてまなぶてらすで活動しています。Hip-Hopとラーメンが好きです。


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