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<雑談>「家政婦のミタ」と「夏目漱石」に見る現代っ子

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こんにちは、まなぶてらす国語講師の平井です。

先日茨城県(上陸したのが人生初)の牛久大仏を見に行ってきました。

牛久大仏ですが、前々からいってみたいところでした。

どうでしょう・・・・・でかいです・・・・・・・

ガンツでこういうの出てきた気がする・・・・・

500円で花園や動物園も楽しめるので、非常にコスパがいい観光名所でした。関東近郊の方はぜひ。東京から90分でいけましたよ。

↑本当はもっと画質いいんです

さて、今回は、前回の記事とゆるくつながっている内容です。

この前の記事では、「女王の教室」というドラマについて紹介しました。女王の教室の脚本家である、遊川和彦さんがらみでもういっちょ書いてみようと思います。

遊川和彦さんの手掛けたもう一つの大ヒットドラマといえば、「家政婦のミタ」です。
父子家庭の葛藤が松嶋菜々子演じる家政婦によって解決していくというストーリーです。
役者の演技テンションやストーリーの実在感などでは色々つっこみどころはあるドラマでしたが、父役の長谷川博己に僕は非常に興味をそそられました。

以下Wikipediaより長谷川博己の父役についての情報

引用開始
阿須田 恵一(あすだ けいいち)
演 – 長谷川博己
4姉弟の若き父親。昭和48年4月7日生まれ、38歳。愛車はスバル・エクシーガ。
凪子とは元々、同じ大学の先輩・後輩という間柄だった。彼女が大学を卒業した直後、結の妊娠が発覚。凪子から「堕ろすなら死ぬ」という言葉を受け、半ば脅迫に近い形でできちゃった結婚したという過去を持つ。そのため、父親としての自覚が持てず、凪子の死後も崩壊寸前の家族に向き合うことを避けていた。
普段は落ち着きのある物腰柔らかな性格で通っているが、実際は非常に優柔不断で物事をはっきり決められず、面倒事を極端に嫌い他人任せにしてしまうところがある
同じ会社に勤める美枝と1年前から不倫関係にあり、それにより凪子に離婚を迫ったことで彼女が自殺する原因となってしまった。それを家族に隠そうとするも結に知られてしまい、子供達からの反発を一身に受けることとなるが、三田の行動によって人間として成長し、自分なりに現実を受け入れていくようになる。
遊川によると自身の父親をモデルにしている。

引用終了

とこんな感じの父親として描かれているわけです。実際にドラマをご覧になった方はわかると思うのですが、この父親とにかく「クソ親」です。
ドラマを観ながら「Oh f×××」と言いたくなるくらい父親としてなっていないです。

このドラマの問題の諸々は「こいつのせいだよなぁ~」とあきれつつドラマを観ていた人は多いのではないでしょうか。

ただですねぇ~私自身は、この長谷川博己演じる父親を見て、

「漱石の小説みたいだな~~~」

とずっと思っていました。

漱石の小説に出てくる男の特徴は

・性悪
・根暗
・軽薄
・自己欺瞞
・女性不振

こんな感じです。要するに「全然主人公っぽくない男」なのです。

例えば、”こころ”の先生などはその典型ですよね。
先生は、Kが自殺する場面でも、「Kの死より自分の保身を先に心配する」という描写がしっかりと加えられているくらい自己弁護的で卑近な人間であることが描かれています。あと、”こころ”を読んで女性が感じるであろうことは、「奥さんに相談しないの?」という疑問だと思います。死ぬくらい悩んでるんだったら相談してほしいと、奥さんであれば思いますよね。

上記のように、漱石の男性主人公というのは「非男性的、非主人公的」な俗っぽい人間として描かれています。

 

話を戻します。

家政婦のミタの長谷川博己を観て真っ先に思い浮かんだのは、漱石の未完の大作である「明暗」の主人公 津田由雄でした。

「明暗」という小説は、漱石の自己最長の大作…になるはずだった作品です。
漱石は、この小説を書いている途中で病でこの世を去ってしまいます。

日本文学史最大の無念”といっていいと思います。

明暗を読んでいただくとわかるのですが、ありあらゆる伏線が張られたうえ、これから物語が大きく動く瞬間で、絶筆となっています。

「ああああああぁぁああ」なんで死んでしまったのですか・・・・と、読むたびに思います。

(hideが死んだことにぬぉおおおおってなるあの感じに似てます)

作家って自殺するパターンがほとんどですからね、最高傑作を書いて死ぬっていうのが王道なんですけどね。天地がひっくり返ってももう漱石の明暗は完成しません。

以下、明暗のあらすじです。Wikipediaより。

引用開始
会社員の津田由雄は、持病である痔の治療のための手術費の工面に迫られていた。だが、親は不義理のために金を出すのに難渋し、妹のお秀から責められる。
由雄には、勤め先の社長の仲立ちで結婚したお延という妻がいるが、お秀はこれを嫌っている。お延は津田に愛されようと努力するが、夫婦関係はどこかぎくしゃくしている津田にはかつて清子という恋人がいたが、あっさり捨てられ、今は人妻である。お延にはこのことを隠している
お延の叔父岡本の好意で、津田の入院費を工面してくれることになった。津田の入院先に、かつて清子を津田に紹介した吉川夫人が現れる。夫人は、清子が流産し湯治していることを話し、清子に会いに行くように勧める。
津田は結局一人で温泉へ行き、その宿で清子と再会する。清子は驚くが、翌朝津田を自分の部屋に招き入れる。

引用終了

大事なところに線を引いておきました。

線を引いてあるところが、家政婦のミタの長谷川博己に非常に似ているところです。

要するに、二人とも

ここにはない何か、ここではないどこか、が意識の片隅にある故、目の前の人生に本気になれない」男。

なわけです。

この男性像は、非常に、現代的だと思います。

 

言い換えると、「ゆとり世代っぽい」ということです。(私もがっつりゆとり世代です)

現代の子の悩みというのを象徴しているキャラクターが家政婦のミタの父親であったり、明暗の津田由雄なのです。


ゆとり世代の声をここで代弁させていただきますが、

現代の子供って、「あらゆるものが豊かな状態」で育ってきた世代なんですね。

それは同時に、「もうすでに先人たちが偉大な社会をつくりあげてしまった状態」でもあるわけです。

だからバブル崩壊以降の子どもは、上の世代から、「お前らはいいよな、生まれたときから、こんなめぐまれていて」という無言の一瞥を感じながら育ってきたといえると思います。

↑ここまでストレートな言い方ではないにせよ、

「経済や文化の成長が成熟したあとの世代」として生まれた世代と認識されていることはたしかですし、高度経済成長期の世代の「俺らみたいにお前らもなんか偉大なことしてみろよ」的な無言プレッシャーを与えられているといえるでしょう。

ただ、ここで強調しておきたいこととしては、

だからといって現代っ子にクリエイティビティや情熱がないわけではない

ということです。

「おれらだってなんか創ってみたいよ!!やりたいことはあるよ!」と心のうちに思っているのです。

しかし、今は、情報化社会です。

「本気になる道を一本に絞り切れない」という状態が不可避的に生まれてしまうのが、現代社会なのです。

例えば、音楽や映画を鑑賞すると一言でいってもあらゆるものは細分化され、多様化しているので、日々、新しい創作物を目にするような状況です。これは、一種の不幸です。なぜなら、”自由過ぎる”からです。

ひと昔前のサブカルチャーって、あこがれのアイコンはそんな数はなかったです。アイドルであれば、○○、ロックバンドであれば、××。映画であれば△△。という風に、ある程度自らが目指すべき目標物は、定めることが容易でした。

しかし、今はもうあらゆるカルチャーが洪水のようにあふれています。目移りしたくなくても、させられるような構造ができあがってしまっているのです。

就職や学業といった人生のキャリアでも同様です。
ツイッターを開けば、数百人~数千人のフォロワーの生き方や考え方、ライフスタイルを一挙に浴びせかけられます。
「自由に生きろ、社会のマリオネットになるな」的なポジションの人もいれば、「堅実に、痛手をおわないように」という人もいる。同世代で活躍するアーティストや著名人の発信だって否が応でも入ってきます。

こんな環境にいるわけなので、

「自分の人生にはもっと別な可能性があるのではないか?」と脅迫的に意識する土台が出来上がっています。

だからこそ、

なんか一つのことに熱くなれない…」という悩みが出てきてしまうのです。

熱くなろうとしても、その道で活躍する同世代のプロフェッショナルの情報が瞬時に入ってきます。
すると、「あぁ~もうこんな人いるんだ・・・やっても無理なんかなぁ・・・」とまた別な情報をあさるきっかけができてしまうのです。

「熱意はあるけど、なんか本気になれない」

この感覚は、バブル崩壊以降の世代は時代を経るごとに強まっているのではないでしょうか。


家政婦のミタで長谷川博己の印象的なセリフがあります。

「お父さんだってわかってるんだよ!!でも、なんかだめだんだ…わかってるけど、本気になれないんだ…」

というような旨のことをいいます。

現代っ子っぽいですねぇ~~。

この父親は、子どもを持つことを恐れていますし、妻以外の女性に甘えてしまいます

この自分の未熟さを自覚しているけど、その克服という一本道を歩むのは怖いという感覚は、非常に現代的な悩みだと思います。

明暗の津田由雄も同じなんですね。

結局妻を本気で愛することができないというコンプレックスが根底にある男です。

「本気になれないコンプレックス」

これは、現代っ子に潜む無意識の悩みだと思います。


漱石は、「草枕」という作品にて、現代社会についてこう言及しています。

引用開始

文明は、あらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏みつけようとする。一人前何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよというのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞとおどかすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由をほしいままにしてものが、この鉄柵がいにも自由をほしいままにしたくなるのは自然の勢いである。憐れむべき文明の国民は日夜この鉄柵に仮眠ついて咆哮している。文明は個人に自由を与えて虎のごとく猛からしめたる後、これを陥穽のうちになげこんで、天下の平和を維持しつつある。

引用終了

ん~~まさに現代人の悩みそのものですよね。

テレビやドラマ、映画や音楽で

「個性こそ美徳、唯一無二性を身につけよ」とプロバガンダされる一方、就職や学校で、管理社会化される。

自我を発揮しなければいけないと強迫観念を植え付けられたのにも関わらず、自我を吸い取られていく。

ん~~~怖い怖い。

個人的には転職系のCMとかが一番狂気を感じますけどね。

「踏み出す一歩」的な理想像を啓蒙しつつ、資本社会の奴隷を確保していくっていう・・・

( ^ω^)・・・蟹工船かな?・・・・

話がだいぶそれましたが、アンチヒロイックな主人公たちを分析してみると現代人の悩みや現代っ子の接し方が見えてくるのではというお話でした。

お疲れ様でした。m(__)m

ひらい/1993生/福島県出身
オンライン国語講師としてまなぶてらすで活動しています。Hip-Hopとラーメンが好きです。


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