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講師からみるオンライン授業のメリット

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こんにちは、まなぶてらす国語講師の平井です。

 

今回はもうサムネイルでイイタイコト全部言えちゃっているのですが、

「オンライン指導に慣れると対面式授業に戻れない!」

という内容です。

 

以前、ようたママさんが、ユーザー目線からオンライン指導の良さを書いてくださった記事があります。

 

この記事はそれの講師版、です。

 

ちょうどまなぶてらすでレッスンをさせていただいて一年とちょっと経過しました。

 

私、その前は某大手の学習指導塾で集団授業の指導を行っていました。

 

その時の働き方と今の働き方を比べると本当に色々な面で良いことばかりです。

 

”ネットええなぁ”と日々感じながら授業をしています。


まず、「授業環境がストレスレス」です。

私の授業では、Googleドライブで生徒様専用のフォルダを作って、そこに授業の板書やプリントをシェアしています。

 

プリントを配るのも、ノートを書くのも、動画音声などの多様な形式のファイルのシェアも自由自在です。

(当たり前だけど)

 

例えば授業中に、「あ、これ宮沢賢治の文章のあの一節を説明に使いたいなぁ~」なんて思ったとき、青空文庫とかで一瞬でデータを呼び出して、コピペできます◎

 

おすすめの問題集とかも、その場でAmazonのURLをシェアしたり。

以前作ったスライドの一部をスクショしてシェアしたり。

参考資料をウェブで呼び出したり。

 

と対面授業では考えられないくらい充実した情報提供が可能です。

 

これは、本当に便利ですね~。

対面授業だと何をするにも紙で配るかまたは、ホワイトボードに書かないと進まないのでバチボコ効率が悪いなと今の働き方をして感じます。

 

生徒様的にも良いですよね。授業での板書は、終わったらプリントアウトすればOKって状態になっています。

 

前に働いてた塾だと、宿題伝える時に電話してました。

 

やりながら思ってたのは、「宿題って絶対文字情報で伝えた方が良くない??」ってことでした。

 

「〇ページから〇ページを…」なんてのは、メールとかで受け取った方が保護者的にも楽だろっ!って。

 

あとは、ファックスとか使ってました(笑)紀元前かっ!!!

 

「 紙 黒板 板書 ファックス 口頭 」こういう伝達形式が公立の学校や多くの塾のメジャーな方式っていうのは、非常に由々しき問題だと思います。

小中高の教員のブラック労働化が深刻だと叫ばれる中、業務の大部分をスマート化することは急務です。

 

 


あとは、「ビデオ通話」っていいな!って気づきました。

 

オンラインでビデオ通話だと「なんか伝わらないんじゃない?」的な先入観は多くの人が抱く懸念だと思います。

 

ほぼ毎日Skypeでビデオ通話していて思うのは、「ほぼ対面と変わらない」ってことですね。

 

ビデオ通話という文化をもっとビジネスや接客、役所や日常のコミュニケーションにどんどん入れ込んでいくべきだと思うようになりました。

 

ECモールとかいいじゃないですかね~

お客さんに色々聞いてレコメンドするとか。楽天とかで実装すれば流行ると思います。

 

ビデオ通話でも十分生徒さんの表情とかわかりますし、ボディランゲージを含めた説明なども必要十分に可能です。

 


 

では、対面の授業にはデメリットしかないのか?

今までの授業形式や教育方針を続けるのであればデメリットが圧倒的に多くなってしまうでしょう。

しかし、「対面でしかできない教育」はなにか?

ここを突き詰めて考えていけばオフラインでしかできない教育が見えてくると思います。

 

私自身の体験から話すと、対面授業の良さってのは、「雑談」なんですね。

 

授業と関係ないじゃん!!って思われるかもしれませんが、既存の授業自体は、全部オンライン化できるので、そうなると人間が集まってする必然があるものって雑談くらいしか残っていないのではないでしょうか?

 

ちょっと話が脇道にそれるようですが、

(個人的)墓場に持っていきたい映画の一本として「この世界の片隅に」っていう作品があるんですね。

 

二次大戦中の広島を舞台とした作品で、おととし公開されて非常に評判になって多くの熱狂的ファンを生み出したアニメーション映画です。(原作の漫画も素晴らしいです)

 

この作品が現代に生きる我々の心をつかんだ理由として、「データ化されない何か」を描こうとしたからだと思うんですよ。

 

つまり、”二次大戦””広島”って聞くともう反射的に=「原爆」って考えてしまいますよね。

 

もちろん、この映画では原爆も描かれるのですが、映画の大部分は、そういったマクロな歴史じゃなくて、当たり前の日々の生活をストーリー化しているんです。

 

つまり、「原爆という歴史的アーカイブの裏には、当たり前のように人間の生活があったんだよ」という感覚を絵的に表現しているんですね。

 

これは、現代のわれわれの悩みにも通じますし、今回の教育にも通じる重要な教訓だと思います。

 

例えば、我々の生活でいえば、現代は情報化社会です。あらゆるものがデータ化され、バズったものしか記録されないような世の中です。

 

しかしその一方で毎日確かに人は生きていて、日常の些細な機微や感情の動きなどがあります。

 

「リツイートもファボもされないけど、確かに、俺は、私は、ここにいる!!!」って感覚ありませんか?

けっこ現代人の精神的鬱屈ってここにあると思います。

フォロワーが有する人が総取りするというネット社会では、どうしても自分の存在価値を疑わざる得ない。

 

でも、日常の営みを誰かに認めてもらうって重要じゃないですか?

 

まさに今の教育に求められてきているのはこの感覚です。

 

今までの教育が行おうとしてきたことは全部データ化されてしまっているのです。

五教科七科目、受験対策、過去問、ぜーーーーーんぶアーカイブされています。

ネット化されています。

 

じゃあ、人と人とがかかわりあう教育にできることは?

 

「子供一人ひとりが持っているデータ化されない”何か”」をくみ取って、コミュニケートしてあげることじゃないですか??って思います。

 

例えば、昔指導していた子に洋楽好きの小学生がいました。

国語や算数といった点数化されるテストは苦手でしたけど、洋楽のことになると嬉々として色々なことをしゃべってくれるような子でした。

 

その子が洋楽が好きってのは、雑談をしたから知れたことなんですね。

 

言い方を変えるならば、

「この子は勉強のほかに何が好きでどんなことに情熱を燃やしているの?」っていう視点が雑談には内在しているということです。

 

そして、それこそ、偏差値とか点数にならない”何か”として教師がくみ取り、コミュニケーションするべきものだ、そう思います。

 

ちょうど前の記事で今公開中の「万引き家族」を観ましたって話を書きました。

 

あの映画も同様に、「記録には残らないけど、確かにそこにあった”何か”」を描こうとしていた作品でした。

 

映画の終盤で、リリーフランキーさん演じる父親が、警察にあることを問われて言い淀むっていうシーンがあったんですね。

 

そのシーンが非常に観客としては見ていて辛いわけです。

 

警察は、調書という”データ”に残すために質問します。しかし、答えられない。

 

だってそこにあったのは「言葉にできない”何か”」だったからです。

 

今までの教育は、数値化orデータ化できるものを教えようとして、そしてその結果を測定してました。

それは、それであっていいと思います。客観的指標は大切です。

ただ、それを現場の教師がやる時代じゃなくなっている、とそういうことです。

 

一律な情報は、オンライン化できています。であれば、オンラインで不可能な対話こそが、現場でできる教育です。


現実的に落とし込むならば、今までの授業は全部、オンデマンド化して、現場の教師が授業するというスタイルを廃止した方がいいです。

単位制にして、学校を自習空間化する。わからないところを先生にその場の先生に聞いていくっていう状態です。

 

そして早朝に登校するって習慣をやめましょうって思います。

八時に登校するって謎の慣習によってあらゆる弊害を生んでいます。

八時に登校しないといけないから教師職はブラック化します。

八時に登校しないといけないからお母さまも朝食づくりで大変になります。

公共交通機関も混む。

10~11時くらいに登校でいいです。生徒は家でも学校でもオンデマンドで授業を受講する形にしましょう。

場所で区切る考え方があるから色々非効率が生まれます。

 

給食とかを食べた後は、ディベートの授業とか、芸術活動、グループワークといった

 

人が集まってやる必然がある科目」を学校でやるようにする。

 

そして、15時くらいに下校。

生徒は家でもオンデマンド授業を受けるのでOK、と。

 

元々学校の先生は、子供が好きで教職につかれた方が多いのではないでしょうか。

 

テクニカルに科目を教えたいのであれば塾業界にいくと思います。

 

そんな子供と対話できる素質がある先生たちを、ただの板書マシーンにしてしまうのはもったいないです。

 

科目指導は外注化しましょう。そして、現場の先生は、子供と勉強以外の面で向き合う環境をつくりましょう、と。

 

その方向に義務教育が進化してくれれば、もっと良い日本になるのではないでしょうか。

 

網や紙ではキャッチできんTruth”をキャッチする教育にシフトしましょう。

 

生徒や親だって内心そう思っています。

 

僕の高校時代は、学校の先生の授業聞きながら「はやく東進いきてぇ~」って思ってました。

そして塾に行ってまた学校でやったことと同じ授業受けるわけです。きわめて非効率です。

 

保護者も「学校の授業じゃ専門性に欠けるから塾行かせる」って理由が多いですよね。

ということは、保護者だって学校の先生の科目指導は不十分だって思っているということです。

 

すべてとは言いませんが、学校の授業は往々にしてクオリティが低くなりがちです。

第三者の評価がないから、テキトーにやってる先生いっぱいいました。

学校では、生徒は先生選べません。それもおかしな話です。

 

いまの学校の中は、完全なる封建制度です。そりゃタックルさせますわぁ~。

 

ここで大切なのは、先生の科目指導技術云々ではなくて、科目指導を現場でやるのをやめようということです。

科目指導は、予備校や専門家に任せるようにした方が双方にとって幸せです。

科目指導はオンデマンド化して、現場の先生は、現場でしかできない教育に徹しようということです。

 

 

以上講師側から見たオンライン指導のメリットでした。お疲れ様ですm(__)m

 

ひらい/1993生/福島県出身
オンライン国語講師としてまなぶてらすで活動しています。Hip-Hopとラーメンが好きです。


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